Kitchen Garden



浜松市中区富塚町
築山御前は、徳川家康の正室で今川義元の姪になり、駿河時代は瀬名姫と呼ばれていましたが、今川の血を引くとの 信長の命令を受けた家康は、築山御前を殺さなければならない事情に追い込まれました。岡崎城から浜松城に進んで来た 築山御前を佐鳴湖小藪に待ちうけ生命を絶ったところです。戦国時代の女性の宿命とはいえ彼女は、当時三十八歳の 女盛りであった言われている。築山御前の遺体は西来院に埋葬されました。