この建物は、市内村櫛町で漁業・農業を営んできた高山家の住宅として使わていたものである。
同家は安政(1854〜1860)のころ分家し、その時、堀江(現在の舘山寺町)から古い建物を購入、移築したといわれております。
小規模な民家建築であるが、これが江戸時代の終わりごろの浜名湖東岸では標準的なすまいであった。
屋内は、右手が土間、左手が 前後二室の床上部分で、四間取(田の字型)成立以前のかたちをとどめています。
(1980年、現在地に移築されました。)
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