新居関所
       新居町新居

  
新居関所は、正式には今切関所といって慶長5年(1600)に設置されました。創設当初は浜名湖の今切口に近い、 現在の「大元屋敷」と呼ばれる場所にありました。しかし地震や津波などの災害で移転を強いられ、現在位置は三度目の位置です。
江戸時代には、現存する面番所、書院、下改勝手、足軽勝手の他舟会所、女改長屋、土蔵などがありました。それらを包むように 西に瓦葺の大御門、東に渡船場があり、対岸舞坂へは渡船によって行き来しました。面番所等は嘉永7年(1854)の大地震で 大破、翌安政2年(1869)に建て替えたもので、全国唯一現存する関所建物です。
昭和30年(1955)国の特別史跡に指定されました。

  
渡船場跡
新居関所のすぐ東は浜名湖で、構内に渡船場があり対岸の舞坂と船で行き来していました。明治以後の埋め立てで 景観は失われましたが、平成14年、湖岸と渡船場の一部を復元、古絵図、発掘調査などに基づき、護岸石崖、渡船場 湖水面、水際の丸太杭、面番所への通路などを整備「海の関所」の面影がよみがえりました。

  
面番所内部
面番所は通行人の取り調べを行った所で、関所の中心的な施設で内部は東側20畳と西側25畳の 2室に分かれ、最高責任者の番頭をはじめ給人、下改などの役人が勤務した。

  
面番所内部
面番所は通行人の取り調べを行った所で、関所の中心的な施設で内部は東側20畳と西側25畳の 2室に分かれ、最高責任者の番頭をはじめ給人、下改などの役人が勤務した。

  
女改め
関所には改め女(俗に改め婆)がいて、関所を通る女性を調べました。改め女は関所勤務の足軽の母親が 務め関所構内に住んでおりました。

  
荷物石
これは、旅人が関所で取り調べを受けている時に荷物を置いた石です。当時2っの荷物石が面番所の西側に置かれていました。