鷲津 本興寺
       新居町鷲津

  
本興寺 山門 (市指定文化財)
当山は門祖日陣聖人が永徳3年(1383)東海巡化の途次、この地を通られた時、たまたま当時真言宗雲谷普門寺の末寺で学徳兼備の住僧が 日陣聖人に法戦を挑んだので日陣聖人は支院東光坊に留って法論数10日に及び、遂に住僧は自宗の非を悟り、弟子東光坊日円、 古見小山田坊日能(いずれも改宗後の名)と共に旧宗を改め、日陣聖人に帰伏し、大慈悲院日乗と改名した。日陣聖人は寿量品の常在霊鷲山から 常霊山、本法興隆寺より本興寺の山寺両号を命名された。時に陣師45歳、日乗39才であった。

  
本興寺開山スギ
国宝本堂前より見た、開山スギと鷲津の町並み



  
本堂
本堂は建立年代不詳であるが天文21年(1552)に修復が行なわれ、和、唐、天竺の三様式が巧みに折衷された建築 で国の重要文化財に指定され茅葺屋根は重厚な安定感をかもしている。向拝には輪宝の蟇股が施され建物は 土壁や釘が使われず、床下の亀腹はシックイ造である。昭和24年(1949)屋根の葺替をなした。

  
中門
本興寺大書院の本玄関に通じる中門は、別名朱門とも言う。型式は薬医門である。二本の本柱を棟から少し外側に建て、やや下げて内側に 控柱二本を建てる。屋根の重さを本柱と控柱が分け合って負担する形で、安定感のある門の形式と言える。薬医とは”矢喰(やくい)”の当字で、 薬医門とは元来桃山時代の創始にかかる城門の一形式であったが、江戸時代には寺院にも多く用いられた。
本興寺中門創建の棟札の類は発見されていないが、正徳元年(1711)と寺伝にいう。17世紀末から18世紀にかけて、中央幕閣から保護下に栄えた 当山の歴史を物語る記念物である。

  
市指定文化財 客殿
11世日稔は慶長18年(1613)本堂の須弥壇を新造、13世日渕は寛永14年(1637)に客殿を建立し、寛永19年(1642)6月、 徳川家光より63石の朱印を受け以来将軍の代替りには江戸城に登り白書院において将軍に謁見を許された。