白井鐡造記念館
       浜松市天竜区春野町

  
白井鐡造
1900(明治33)〜1983(昭和58) 宝塚歌劇団演出家、宝塚歌劇団理事。
周智郡犬居村犬居(春野町犬居)に生まれる。
本名は虎太郎。
犬居尋常小学校を卒業後、浜松日本形染株式会社へ入社したが、1917年(大正6)同社を退社し上京。
岸田辰弥に弟子入りし音楽、舞踏、演劇修業に専念する。
1922年9月1日宝塚歌劇団に入団。劇団創始者小林一三にその人柄、実力を認められ、本場パリへの 遊学を進められ渡欧。
1930年(昭和5)8月帰朝第一回作品の「パリゼット」は世人の目を見張らせた。
この作品の主題歌「すみれの花の咲くころ」は、多くの人に愛唱された。
1922年7月の「金の羽」(お伽歌劇)上演以来、宝塚を背負い60余年。
{パリゼット」「虞美人」「花詩集」等不地朽の名作を含めて白井鐡造作品は200余りに上り、日本最初の 本格的レヴューとして宝塚の名を高めた。
志は清新で、強く真実を貫いた信念の人白井鐡造は、またふるさとの自然とそこに住む人々をこよなく愛した。
1982年紫綬褒章を、1970年に勲四等旭日小褒章を受賞。1982年春野町名誉町民に選ばれた。