遠州名刹光明山
       浜松市天竜区山東

  
今から千二百余年前、養老元年(七百十七年)行基上人が光明山中に入り、摩利支天の神託を受けるなど数々の 霊験に接して、このことを時の帝元正天皇に申し上げ、皇室の祈願所とされることをお勧めしました。
すると、元正天皇は深く叡慮の上遠江の国司に諸堂を建立するよう命じられ、行基は本尊三満虚空蔵菩薩、 奥之院摩利支真天、十一面観世音菩薩の三尊像を刻みこれを祀って光明寺を開創したと伝えられています。
光明山の本尊は三満虚空蔵大菩薩と申します。この虚空蔵菩薩は、智を満たし、福を満たし、 威信を満たすというご利益のあるところから、三満虚空蔵菩薩と呼ばれ京都の智福山法輪寺, 伊勢の勝峰山金剛証寺と共に日本三虚空蔵菩薩として知られています。
  
鎮守正一位光明笠鋒坊大権現と七十五膳献供の神事
行基上人に当山を任せられた最傳が姿を消して後十年、再び最傳数多の眷属と共に姿を現し当時の住僧霊澄に 「我は常に此の山に住して永遠に衆生を利済せん」と告げ、雲に隠れて何処へか去って行きました。
これが世に光明の大天狗と呼ばれ、遠州五坊,日本七十五坊の一つ、正一位光明笠鋒坊大権現です。
天平九年(七百三十七年)遠江の国司草壁王子は天竜川に棲む大蛇を退治しようと笠鋒坊権現に七十五膳を献じ、 萬願成就したことから当山の七十五膳献供の御神事が始まりました。遠州地方のいくつかの寺院に伝わる七十五膳 の献供の御神事の根元です。現在も十月の最終土曜日大祭の夜行われております。