三河国分寺跡と三河国分尼寺跡 

三河国分寺跡  豊川市八幡町本郷31
三河国分尼寺跡  豊川市八幡町忍地105


国分寺は、天平13年(741)に聖武天王が発した「国分寺建立の詔」により、東大寺を総本山として諸国に建てられました。銅鐘(梵鐘)は、三河国分寺の貴重な財産で、 大正11年(1922)に国の重要文化財に指定されました。
国分寺クラスの大伽藍だいがらんを備えた三河国分尼寺の当時の姿を体感できるよう、中門及び回廊の一部を遺構の真上に実物大復元しました。 金堂基壇きだんの復元や講堂跡をはじめとする表示施設を整備し、発掘調査によって確認された伽藍の配置を復元したほか、周辺遺跡を含めた地形復元模型を設置しました。

  三河国分寺跡
豊川市八幡町本郷31
国分寺は、天平13年(741)に聖武天王が発した「国分寺建立の詔」により、東大寺を総本山として諸国に建てられました. 発掘調査により、180m四方の寺域に、南大門・中門・金堂・講堂が南北一直線に並ぶ壮大な伽藍があったことが確認されています。
  三河国分尼寺跡
豊川市八幡町忍地105
天平13年(741)の聖武天皇の詔勅によって、全国60余りの国に国分寺とあわせて国分尼寺を建てられたものと考えられている。境内は約150m四方で、現在、発見されている国分尼寺の中では最大のもので、金堂の礎石が良い状態で残っており、 中門、複廊、南大門の礎石も発見されている。
 

三河国分寺跡
豊川市八幡町本郷31
三河国分尼寺跡
豊川市八幡町忍地105付近の地図です。