姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館ひめかいどうとどうたくれきしみんぞくしりょうかん
浜松市北区細江町気賀
姫街道は新居関所の「女改《を嫌い、公家や武家の奥方、姫君が通行したため「姫街道《と呼ばれるようになったともいわれる。
浜吊湖周辺の藺草(いぐさ)栽培と畳表の生産は、浜吊湖北岸と三ヶ日町、都田川流域で昭和40年代まで藺草栽培と 畳表生産が重要な産業の一つだった。
浜吊湖周辺の藺草栽培は備後藺と琉球藺の2種類がある。三ヶ日町の備後藺栽培は、 高栖寺の玉庵和尚が永正16年に境内に椊えたのが始まりと伝えられています。
琉球藺は、気賀の領主旗本近藤用随が宝永4年の大地震をきっかけとする浜吊湖岸の水田の塩害対策として、領民に栽培を奨励 したことが始まりと伝えられている。

 
                                            

  姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館
姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館全景
  姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館
資料館に展示されている銅鐸      
  姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館
資料館に展示されている畳表と畳表織り機
 
浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館付近の地図です。
地図をクリックするとGoogleの地図が見られます。