諏訪原城跡すわばらじょうあと
島田市菊川1174番地
諏訪原城跡は、牧之原台地の北端部に近い標高212mから220mの台地に立地する山城です。
本曲輪(ほんくるわ)東側の斜面は断崖絶壁となっており、当時の大井川は牧之原台地に沿って流れていたことから自然地形によって守られた「後ろ堅固の城 (うしろけんごのしろ)《となっており、天正元年、武田勝頼が家臣の馬場(美濃守)信春(ばばみののかみのぶはる)に命じて築城しました。
城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城と吊が付いたと言われています。駿遠の国境に位置し、武田・徳川の双方が国取りの拠点とした城です。
天正3年に徳川家康によって攻め落とされ、牧野城(まきのじょう)として使用されましたが、廃城時期はわかっていません。 現在でも三日月堀と馬出がセットになった丸馬出や横堀(よこぼり)が良好な形で残っており、戦国時代の山城の特徴を残しています。島田市では史跡整備に向けた 発掘調査を実施しており、現在残る遺構は徳川家康による改修の可能性が指摘されています。
                        島田市HPより

 
                                            

  諏訪原城跡
諏訪原城跡の石碑
  諏訪原城跡
諏訪原城ビジターセンター全景      
  諏訪原城跡
本曲輪から見える北アルプス
  島田市諏訪原城跡の付近の地図です。
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