浜松市東区安間町1
1871(明治4)年廃藩置県の年、久右衛門は「学問が必要。心を豊かにできれば立ち上がることが出来る」と金原家塾(後の水利学校)という学校を始めた。
15歳〜20歳までの青少年たちに、3年間土木治水科目を学ばせ、天竜川の治水工事に当たらせ、優秀者は内務省土木局に就職させたり、大学に入学させたりした。
生徒数が多くなると、自宅南側に校舎を建設。それが発展したのが現在の和田小学校。
二俣町鹿島から掛塚港まで25qの両岸を福岡久と測量し、「天竜川は八町巾が必要」という結論を出す。工事を進める資金が無かったため、
自ら堤防修繕費として毎年1千円を献納すると申し出た。
浜松市東区安間町1 浜松市東区金原明善資料館の周辺の地図です。 |