光明山遺跡と光明城址こうみょうさんいせきとこみょうじょうし

浜松市天竜区山東

光明山は旧天竜市(現在は浜松市天竜区山東)あり、光明小学校横の林道(光明山林道)を約6kmほど登った、 標高約800メートルの峠に建てられた曹洞宗のお寺の遺跡で・・・天空の城ににた、おもむきがあります。
戦国時代、三方原の合戦の時、武田軍が通った道でもある。元々武田軍は家康など眼中になく、ほっといてくれればそのまま通り過ぎたのだが、若い家康が、 自分の庭先を通したくないという理由で戦ったのである。結果、この周辺から浜松、引佐まで、家康が逃げ回った逸話が残っている。 光明山の山頂には、明治時代に火災で焼失した光明寺と長篠の合戦の後、武田の城を家康が奪った光明城の跡がある。 光明城跡には徳川の旗頭、本多作次郎、石川善内、澁谷三右門、菅沼源太郎、山本庄介、天正3年6月10日戦死と書かれている看板があった。 二俣城攻防戦のときに戦死した5人の塚がある。

  光明山遺跡と光明城址

光明山遺跡の全容と森林のおいたちと学習林の説明案内看板です。
  光明山遺跡と光明城址

竹田城や越前大野城が天空の城と言われておりますが、光明山遺跡も何となく天空の城の雰囲気があります。
その一部の石垣です。 
  光明山遺跡と光明城址

本堂跡に置かれている小さな祠
 
光明山遺跡付近の地図です。

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