木曽義仲館と徳音寺

     長野県木曽郡木曽町日義290-1

義仲館は、
幼名駒王丸は2歳の頃に木曽に逃れてきて、中原兼遠の養育を受け、後に元服し木曽次郎 源義仲を名乗る。 1180年に後白河法皇より平家追討の命を受け、木曽の地で旗挙 げを行い、その後北陸に進撃し、 入京を果たし、征夷大将軍に任ぜられた。 しかし、 後白河法皇の策略によって鎌倉軍に敗れ、 粟津ヶ原(あわつがはら)で討死。31歳 の短い生涯であったが、短くとも壮絶な生涯を閉じました。
徳音寺は、
1168年、木曽義仲が母小枝御前を葬った寺で、一族の菩提寺。境内には義仲・巴御前らの墓があります。 四季を通じて様々な趣ある様子が見れ、木曽八景の一つ「徳音寺の晩鐘」にも数えられています。

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  木曽義仲資料館入口
31歳 の短い生涯であったが、短くとも壮絶な生涯を、 絵画や人形を使いわかりやすく解説 している。
  木曽義仲資料館前に、義仲と巴御前の銅像
  木曽義仲と一族のお墓がある、徳音寺山門
  長野県木曽郡木曽町日義290-1 義仲館と徳音寺付近の地図です。地図の画像をクリックするとGoogleマップの地図が開きます。