大樹寺

 愛知県岡崎市鴨田町広元5−1

大樹寺は、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れたとき、今川軍についていた家康は、大高城から大樹寺へ逃げ帰えった場所です。
松平家(徳川将軍家の祖)、徳川将軍家の菩提寺です。1475年 松平四代の親忠が古戦場の首塚の近くに念仏堂を設けたのが始まりです。 文明七年(1475年)に寺を建て、大樹寺と名づけました。 松平八代の墓、歴代将軍の位牌、家康73歳のときの木像などが祭られています。 松平八代の墓は家康が大樹寺に朱印状を与え、勅願所として建てさせたものです。
    徳川家康が残した遺言です。
     「予の遺体は久能山へ埋蔵せよ」
     「位牌は三河の大樹寺へ安置せよ」
後幕臣たちは遺言に従い、家康の位牌を収めました。 代々将軍についても同じように等身大の位牌が大樹寺に安置されています。

  県指定文化財
寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立
大樹寺の入り口にあるたいへん立派な門です。
三門、総門を通して、南方3kmに岡崎城をのぞむことが出来たようです。 学校をはさんで、向こう側に門が並んでいるのがみえます。大樹寺 門から岡崎城残念ながらいまでは岡崎城まで見るのはなかなか難しそうです。
  多宝塔(国重要文化財)
大樹寺には創建当時の建物はありません。最古の建物がこの多宝塔です。天文4年(1535)松平清康公の建立になるものです。室町末期の様式を示しています。 多宝塔は法華経信仰によるもので、多宝如来が安置されています。屋根はこけら葺きでしたが現在桧皮葺きです。
 
 愛知県岡崎市鴨田町広元5−1・大樹寺周辺の地図です。