二川宿本陣資料館

 愛知県豊橋市二川町字中町65

豊橋市二川町と大岩町は、江戸時代に東海道五十三次中33番目の宿場二川宿が置かれていました。二川宿は、二川宿と加宿大岩町から なっていて、町並の長さ12町16間(約1.3q)、文政3年(1820)の記録では、本陣と脇本陣各1軒、家数合わせて306軒、 人数1,289(男666、女623)人でした。 二川には、現在でも江戸時代の町割りがほぼそのままの状態で残り、東海道筋では滋賀県草津市の草津宿本陣田中家(国指定史跡)とここだけに現存する本陣の遺構があります。  二川宿本陣は、文化4年(1807)から明治3年(1870)まで本陣職を勤めた馬場家の遺構で、改修復原工事により主屋・玄関棟・書院棟・ 土蔵等を江戸時代の姿に復原し、大名や公家など貴人の宿舎であった建物を一般公開しています。(二川宿本陣資料館のHPから引用) http://www.futagawa-honjin.jp/

  江戸時代に東海道五十三次中33番目の宿場二川宿が置かれていました。二川宿は、二川宿と加宿大岩町からなっていて、 町並の長さ12町16間(約1.3q)、文政3年(1820)の記録では、本陣と脇本陣各1軒、家数合わせて306軒ありました。
 
  本陣の正門で、大名などの宿泊の際には大名の定紋入りの幔幕を張り、高張提灯を掲げました。表門脇には番所が設けられ、 大名が宿泊する際には不寝番が置かれました。
  旅籠屋「清明屋」は本陣の東に隣接して建っています。表構えは、1階が大戸、蔀、2階は全面出格子とする典型的な旅籠屋建築の 形態を持っています。2階部分があるのは東海道に面したミセの間等の上部のみです。現在の建物は解体修理の結果、文化14年(1817) に建てられたものであることが分かりました。 
 
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