遠州三河散策 バックナンバー

NO229
藤枝市 田中城下屋敷
江戸時代後期、田中藩主・本多家の庭園であった下屋敷は、城の南東隅にあたり、築山・泉水・茶室も設けられています。
NO228
湖西市 妙立寺
トヨタ自動車の豊田家の菩提寺で地元では有名です。
NO227
袋井市 愛野公園
愛野公園は、袋井駅より車で東に1.9km、約5分の所にあり、大人から子供まで幅広く利用されている総合公園です。
NO226
舞阪町 宝珠院
宝珠院は舞阪大太鼓まつりが開催される岐佐神社に隣接する舞阪の古刹。
NO225
掛川市 神宮寺
宗派は曹洞宗で本尊は釈迦牟尼仏
NO224
浜松市北部の古墳巡り
古墳は規模の大小は別として、土もしくは石を積んだ墳丘を有し、その内部に遺骸(いがい)の埋葬施設をもっている。
NO223
掛川 中道寺
仲道寺は東海道の中間点に位置したため、その名前が付いたと言われている。
NO222
掛川 春林院
境内にはビオトーク自然公園が広がり子供の遊び場、大人の散策ルートとしても四季折々の自然に触れる事が出来る。
NO221
掛川 竜眠寺
龍眠寺は山号を平等山と称し(又の名を安穏山)焼津市坂本の曹洞宗林叟院の末寺である。
NO220
都田総合公園
浜松市街から車で約40分、都田テクノロードを北に向かって真っ直ぐ進んで、都田テクノパーク(工場団地)入り口の所にあります。
NO210
龍門山 石雲院
山門は、天保11(1840)年3月28日に焼失後、天保15(1844)年3月に再建されました。日光の陽明門を参考にしたと伝えられています。
NO218
天竜浜名湖鉄道 天竜二俣駅
天竜二俣駅構内にある扇形車庫や転車台を見学することが出来る 「転車台&鉄道歴史館見学ツアー」が毎日開催されています。
NO217
天竜浜名湖鉄道 一宮駅
天竜浜名湖鉄道一宮駅は遠州の小京都と言われる森町にあり、小國神社や「石松の墓」がある大洞院への最寄りの駅です。
NO216
大井川鐵道とSL広場
大井川鐵道株式会社(おおいがわてつどう)は、静岡県島田市に本拠を置き、大井川流域を基盤とする鉄道事業を主たる業務とする 陸運業や観光業 を営む企業である。
NO215
丹野池公園
丹野池公園は昭和32年に完成し、当初は農業用のため池として利用されていましたが、現在は御前崎遠州灘県立自然公園の 一部となっています。
NO214
大井川川越遺跡
江戸時代、旅人が大井川を渡るためには、人足に肩車をしてもらうか、輦台(れんだい)というみこしのような乗り物に乗り、担いでもらっていました。
NO213
筏問屋田代家
天竜川の畔にたつ田代家は江戸時代に名主を務めた旧家で、筏(いかだ)問屋として栄えた歴史を持っています。
NO212
長光山 妙恩寺
十一代住職と家康との関わりは、家康が岡崎から浜松へ本拠を移す際、本陣を置くことを許し、世に言う三方原(みかたはら)の 合戦の前哨戦一言坂(ひとことざか)の戦いにおいて家康敗走時に匿(かくま)い、その後も囲碁の友として二人は親交がありました。
NO211
オレンジロード
奥浜名(おくはまな)オレンジロードは奥浜名湖エリアの山の中に続く広域農道です。
NO210
浜岡砂丘
太平洋側最大級の砂丘地帯である。これは、天竜川から流失する土砂が沿岸ちょうりゅうにのり、 「遠州の空っ風」と呼ばれる強い西風によって内陸に運ばれて形成されたものである。
NO209
天龍山 洞雲寺
特に本山直末寺院として、末寺30余か寺を有した中本寺です。本堂内には、江戸時代、奥山通いに用いられた、総桐作りの寺院籠も保存されている。
NO208
川名のひよんどり
松明と若者のもみあいから「火踊り祭り」がなまって 「ひよんどり」になった。正月2日に行われていたこともあったが、現在は正月4日に行われる。
NO207
磐田市埋蔵文化財センター
市内の遺跡から発掘された土器や石器など、さまざまな遺物の収蔵保管・調査研究を行っています。
NO206
蜂前神社
神社の前に広がる平野もかつては今川家の家臣として井伊家の領地でした。
NO205
大栗安の棚田
江戸時代に築かれたといわれるこの棚田
NO204
北条峠
佐久間町から水窪町に抜ける途中の峠、昔から伝わる昔ながらの月見の祭事を再現する行事が佐久間民俗文化伝承館で開催されます。
NO203
竜洋郷土資料館
天竜川と遠州灘の恩恵を受けてきた竜洋地区の 住民の暮らしなどがわかる歴史・民俗資料を収蔵・展示されております。
NO202

二宮神社
宗良親王の妃、駿河姫を祭神とする。南北朝の初期、後醍醐天皇の皇子宗良親王は、南朝勢力の増強をはかって、井伊谷(引佐町)の 豪族井伊道政のもとに滞在していた。
NO201

引佐町伊平地区
引佐町伊平地区に残る古い建物
NO200
浜松市地域遺産センター
戦国時代の井伊谷周辺の人々の暮らしがわかる遺跡出土品などを多数展示。
NO199
井伊谷城址 井伊谷城箱の地の領主である井伊氏が築いた山城です。標高115mの山頂に単郭式の曲輪が築かれています。
NO198
根山 大宝寺
応永年間(1394年〜1427年)の創建と伝えられており、もともとは袋井市の可睡斎(曹洞宗)の末寺で、 慶長年間(1596年〜1615年)に再興された。1590年(天正18年) 豊臣秀吉が朱印状を与え、1603年(慶長6年)徳川家康も与えている。
NO197
香りの博物館
磐田市香りの博物館は、人類の歴史とともに豊かな文化を築いてきたこの<香り>をテーマとする、世界でも珍しい博物館です。
NO196
龍山白倉峡
白倉山から天竜川へと注ぐ清流が大小の奇岩が連なる渓谷のなかを流れ、11月中旬頃からのモミジが赤く彩る紅葉
NO195
大乗院 三仭坊
千三百年前から人々と共に生き、人々の為に祈り続けてきました。
観広山大乗院(かんこうざんだいじょういん)と小笠山小笠寺(おがさざんしょうりゅうじ)の二つの寺院が一つの境内に並立しています。
NO194
袋井市郷土資料館
袋井の歴史をテーマとする常設展示では、考古資料を中心に、市の歴史の変遷を、旧石器時代から江戸時代にかけて、 ジオラマなどを交えてわかりやすく展示しています。
NO193
麟海院とハ柱神社
遠江鵺代館(とうとうみぬえしろのやかた)は浜松市北区三ヶ日町鵺代に、鎌倉時代にこの地の地頭であった浜名氏の居館鵺代館は、 鵺代地区でも西側の台地先端部に位置し、現在の隣海院・八柱神社境内辺り一帯に築かれていたと思われます。
NO192
新野の案山子祭り
新野町おこし「新野のかかし祭り」今年、第19回目で参加作品少し少なく48作品との事でしたが、新野川沿いにずらりと並んだ 作品は、愛情こもった作品ばかりで見ごたえが有りました。
NO191
三社権現 三熊野神社
徳川家康公により当地に横須賀城築城後は歴代城主・家臣並びに城下近郷挙げて 信仰を寄せ呼び、以来現在に至 る迄厚い信仰を集め、災難除、子授け、安産、縁結びの守神として、 神々の恵み深い御神徳のあるお宮として尊崇されて居ります。
NO190
鎌田山 医王寺
奈良時代に行基菩薩が開山としたと伝えられている寺院です。その後兵火によって焼失しますが、 徳川家康が浄財を出してその再興を援助しました。
NO189
有玉神社
坂上田村麿将軍が東征でこの地を訪れた時、美女に化けた赤大蛇と恋仲になり2人の間に子供が出来た。 美女は将軍に子供を産むところを絶対見ないと約束させ、赤大蛇になって産む。
NO188
久留女木の棚田
久留女木(くるめき)の棚田は、浜松市北区引佐町の東久留女木と西久留女木にまたがる、観音山の南西斜面(標高250m付近)に展開しています。 総面積は7.7ha、その中に約800枚の田んぼがあるといわれ、その美しい景観は「日本の棚田百選」や「静岡県景観賞」にも選ばれています。
NO187
あじさい寺
別名「あじさい寺」とも呼ばれる森町の極楽寺。境内の表参道から裏山の木立まで紫陽花が植えられており、 30種類以上13,000株が6月上旬〜7月上旬咲き誇り、極楽寺は別名あじさい寺と呼ばれております。
NO186
少林山 臨江寺
かって佐鳴湖の水は当山山門のすぐそばまで来ておりました。対岸の古松の上にかかる中秋の名月と、湖面に揺れる月光の景色が 見られた当寺は、湖岸随一の観月景勝の地として親しまれ、多くの文人塁客がたびたび歌会を催したという事です。
NO185
舞阪 岐佐神社
岐佐神社は町の中央部の小高い丘に鎮座する舞阪の氏神様です。御祭神は蚶貝比売命(さきがいひめのみこと)と蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)。 蚶貝比売命は赤貝の神、蛤貝比売命は蛤の神。
NO184
飯田城址
今川氏が衰退した永禄12(1569)年、遠江へ侵攻した徳川家康は今川氏真が立て籠もる掛川城を開城させるが、 このとき山内通泰は家康にくみしなかったため、飯田城は榊原康政、大須賀康高らに攻められ落城した。
NO183
雪の兵越峠と青崩峠
兵越峠は静岡県浜松市天竜区と長野県飯田市の間にある標高1150mの峠。
この兵越峠は、秋葉街道(信州街道)の重要な峠で、武田信玄が天下盗りを夢見て大軍を進攻させた峠。
NO182
花咲乃庄(大箸家)
大箸家は江戸の終わりごろ、現磐田市一貫地で造り酒屋を営み、当主大箸藤次郎は天保初年家督を継ぎ、嘉永二年には庄屋を務めました。 又藤次郎は才能も高く、財をなし、浜松藩の旗本や近隣諸村からの飢餓時の郷借願いにも精一杯融資し当地方の金庫番として地域に貢献しました
NO181
内山家長屋門
遠江国豊田郡大谷村(現:天竜区大谷)の名主でもあり、国学者として有名な内山真龍の生家の長屋門。正確な建築時期は判らないが、 「享保10(1725)年7月吉日」の祈祷札が残されているため、それ以前に建てられたと考えられる。
NO180
赤尾渋垂郡辺神社
神仏習合の時代には境内の長楽寺が主となったが、明治の神仏分離令により神社と寺院が分離され境内整備を行う。明治五年社格が郷社に列格。 大正五年に拝殿を改築し、戦後修理を重ねる。
NO179
増参寺
その昔の匂坂家菩提寺の増参寺・・・現在匂坂家一党の墓石などは、霊園内では見つける事は出来ません。 門前には六地蔵覆堂と遠州伝承の一つ「天竜川石投げの力比べの石」が置かれていました。
NO178
富士山静岡空港
富士山静岡空港は、国内線では、札幌、福岡、那覇、鹿児島の4路線、国際線では、ソウル、上海をはじめとした中国各地への定期便とチャーター便が運航しています。 富士山静岡空港へは、静岡市から車で約40分、浜松市から車で約50分、最寄りの高速道路インターチェンジから約10分〜15分とアクセスの大変よい場所にあります。
NO177
龍山ふるさと村
瀬尻国有林の入り口にあり面積14500坪、左手前ハーブ園と東屋そしてパターゴルフ18ホール、明善橋を渡って坂を登るとペンション 龍山ふるさと村いりぐちです。 ふるさと村の周りを取り囲むように蛇行した新開沢は綺麗で安全に水遊びや、釣りにくい天然アマゴの棲む流れの緩やかな沢です。
NO176
日照山光明院大見寺
大見寺の創建は鎌倉時代にまで遡ると云われ、今川氏の支配下では見付端城が築かれ遠江支配の拠点となりました。永禄12年(1569) に徳川家康が遠江に侵攻すると、その役割は終わりましたが現在でも境内の周囲には土塁の一部が残り往時の名残が見られます。
NO175
袋井冨士浅間宮
原谷川の西岸で南に水田地帯を見下す原川山という丘陵に鎮座する。東名高速の北に接している。
重要文化財の富士浅間宮本殿
奥の建物が神社本殿です。約400年前、桃山時代に建てられました。横へ回つて、透塀ごしに横から御覧ください。
NO174
三熊野神社
当神社は、文武天皇の皇后紀州熊野大社ヘ「安産にて皇子誕生せば、東に三つのお社を建てまつり、日夜敬い申し上げる」と神前に誓われ、
NO173
龍尾神社と梅園
「龍尾神社(たつおじんじゃ)は静岡県掛川市御鎮座の古社でございます。主祭神は素盞鳴尊と申し上げ、雄雄しくも人情味あふれる神様です。
当社は厄除け開運に霊験あらたか故古来より掛川城主の崇敬をあつめてまいりました。女性に幸運をもたらし男性に出世運をもたらす
NO172
御室屋敷長屋門
御室家は、後醍醐天皇の皇子宗良(むねよし)親王に仕えていた御室民部卿「民部卿(みんぶのきょう)/戸籍を調べ、租税や賦役(ふえき)を司る役所の長官」 藤原光資(みつすけ)を始祖としており、現在まで640年余り続く家系。
NO171
光林山 積雲院
積雲院は、文治元年(1185)に源頼朝が兄の朝長の菩提を弔うために建立されたと伝えられている古刹です。 聖観世音菩薩をご本尊とし、天正16年(1588)に可睡斎十一世仙麟等膳和尚(せんりんとうぜんおしょう)によって 再興され曹洞宗に回収されました。
NO170
龍壽山永安禅寺
波切不動とは、不動明王は加持祈祷、そして護摩祈祷の本尊である。どれ程ご利益があるかは、現代人の方が知り尽くしているだろう。 当時無名の密教の中心となる不動明王を知らしめる方法が波切不動であった。
NO169
曹洞宗 用福寺
寺の五輪塔は、橘逸勢の墓と伝えられています。橘逸勢は、およそ1300年前に最澄や空海と共に唐にわたり、書と琴を学び、後に日本三筆といわれました。
NO168
敷地里山公園
約900uの荒れ地を無償で借受けて整備し、ボランティア活動でハナモモ、 菖蒲、アジサイ、クリンソウ、ゴールデンピラミット、ユリ、彼岸花等の花木を植栽し管理、一般に無料開放しています。
NO167
曹洞宗松秀寺
門前の弁天池のスイレンの花が見事で、有名です。 松秀寺は曹洞宗の古刹で、文亀元年(1501)大易正甫大和尚の創建で寺の名前の松秀寺は池のほとりに老松がありましたので、松秀寺と名付けられたそうです。
NO166
伊賀八幡宮
織田信秀が、岡崎城を攻めとろうとしたとき、松平家八代の広忠公は、伊賀八幡宮に戦勝を祈願して、 織田勢を井田ヶ原に迎えうった時に伊賀八幡宮に先勝祈願をして戦に赴きました時より、伊賀八幡宮は松平家の頃より徳川将軍家の家門の守護神として、 深い尊祟を寄せられてきました。
NO165
大頭龍神社
大物主、大山咋大神を奉斉し悪疫鎮護の霊験あらたかに神事が行われます。例大祭は、厄除けの火を焚き、稚児神楽の奉納がされます。
NO164
華の寺 本勝寺
「花の寺」として親しまれている本勝寺は、約6800坪の敷地に70種1万株のアジサイが境内を埋め尽くしています。 また、6月下旬より境内に並ぶ50鉢のハスが開花します。
NO163
竹の丸(旧松本家住宅)
明治時代に掛川城下で葛布問屋を営んでいた松屋が この場所に本宅を建てました。建物は主屋と離れからなり、離れの二階部分には洋風のデザインもみられます。
NO162
大日本報徳社
木造2階建ての和風建築で、内部は周囲に廊下をめぐらせ、1階には81畳の大広間、正面に演壇が設けられています。2階は吹き抜けになっており、 洋風の造りで周囲がギャラリー(観覧席)となってます。
NO161
光明山遺跡と光明城址
標高約800メートルの峠に建てられた曹洞宗のお寺の遺跡で・・・天空の城ににた、おもむきがあります。
NO160
水窪町 足神神社
昔諸国行脚の途時この秋葉街道で不幸にして脚を病い辛うじて池島に辿り着いた鎌倉の北条時頼の脚を数日にわたって治療し 全快せしめた池島庄屋地の(現在大屋)五代目守屋辰次郎を彼亡き後時頼の命ににより村民が霊神として祠を建て待ったのが この足神神社である。
NO159
安養山 西楽寺
今川・豊臣・徳川氏との関係が深い寺であったことが多くの文書から知ることができ、本堂の中には四天王像や天井の絵など 見どころがたくさんあります。
NO158
珠玉山 宣光寺
寺は旧東海道見附宿にあり今でも街道沿いにはいくつか横町に入る小路が遺されている、その一つに地蔵小路と呼ばれる小路奥に宣光寺はある。 地蔵小路の由来は、古来より宣光寺境内の地蔵堂に延命地蔵を安置するところより付けられた名称であるとされている。
NO157
小夜中山 久延寺
旧東海道中、鈴鹿や箱根ともにその厳しさから、三大難所の峠と呼ばれた。小夜も中山峠の中腹にあり、 名刹と知られている小夜中山久延寺があります。
NO156
貫名山 妙日寺
妙日寺は、正慶元年(1332)身延山久遠寺の日善によって開かれた日蓮宗の古刹です。
日蓮宗を開いた日蓮の父の法名を寺名とし、境内は一族である 貫名氏の代々の邸宅跡と伝えられています。
NO155
長嶽山 龍巣院
龍巣院は、延徳元年(1489)に太素省淳(たいそしょうじゅん)和尚によって開かれたと伝えられる曹洞宗の古刹です。 お寺の造営に際して龍神伝説が伝わり、龍の住処を譲ってもらったと伝えられています。
NO154
鏡光山 応賀寺
神亀年間(724年?)聖武天皇の勅願寺として、行基菩薩により開基・創草された古刹であります。
NO153
大須賀町清水家庭園
清水家は江戸時代廻船業を営み藩の御用達を勤めるなどして、「八十様にはおよびもないが、せめてなりたや殿様に」 と俗謡にも歌われたほど繁栄をみました。
NO152
湖西市白須賀宿
白須賀宿は、遠江国の西端の宿場町。東海道五十三次の32番目の宿です
NO151
桶ヶ谷沼と鶴ヶ池
桶ケ谷沼は、磐田市東部の磐田原台地東縁にある県下有数の平地性淡水池沼です。沼周辺には、多くの動植物が生息しており、 ベッコウトンボをはじめとするトンボは 70種類、県内のトンボの3分の2、国内の3分の1の種類が確認されています。
NO150
二川宿本陣資料館
豊橋市二川町と大岩町は、江戸時代に東海道五十三次中33番目の宿場二川宿が置かれていました。二川宿は、二川宿と加宿大岩町から なっていて、町並の長さ12町16間(約1.3q)、文政3年(1820)の記録では、本陣と脇本陣各1軒、家数合わせて306軒、 人数1,289(男666、女623)人でした。
NO149
森町友田家住宅
友田家の由緒は、はっきりしていないが江戸時代には代々庄屋を務めた旧家である。
建物は桁行8間半、染間5軒、寄棟作りで 山間部民家の特徴を示している。建築年代は18世紀前半と推定されるが、側柱、小屋染の一部、側桁などに全身建物ものとみられる
NO148
大樹寺
大樹寺は、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れたとき、今川軍についていた家康は、大高城から大樹寺へ逃げ帰えった場所です。
松平家(徳川将軍家の祖)、徳川将軍家の菩提寺です。1475年 松平四代の親忠が古戦場の首塚の近くに念仏堂を設けたのが始まりです。
NO147
事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)
古くは真知乃神(まちのかみ)、任事神社(ままのことじんじゃ)などと呼ばれ、『延喜式神名帳』には「己等乃麻知神社」と記載されている。
NO146
株式会社 カクキュー八丁味噌
1560年(永禄3)桶狭間の戦いにおいて今川義元が敗れたため、義元の家臣であった早川新六郎勝久は武士をやめて岡崎(現舳越町付近) へ落ち延びた。その後、数代後の子孫が現在の場所へ移り味噌屋を創業。
NO145
豊川 三明寺
三明寺は豊川駅の東側の田園地帯にある小さな寺で本堂の中には国重文の厨子(宮殿:ぐうでん)が安置されている。 また境内には室町時代の三重塔がありこれも国重文に指定されている。
NO144
鷲沢風穴
鷲沢風穴は、日本唯一の水平天井のある鍾乳洞です。見渡す限り真っ平な天井の岩盤「水平天井」が特徴です。 入口から水平天井が続き、なかなかお目にかかれない鍾乳石があります。入口でヘルメットを貸してくれます。
NO143
豊橋市吉田城址
吉田城は、豊川に臨む比高15mほどの河岸段丘上に築かれていて中心部は豊橋公園となっており、かなりよく整備され残されている。 本丸には、一見、天守閣とも思われる入道櫓が復興されています。実際の入道櫓は、本丸下の腰曲輪に置かれていたもので、 もっとずんぐりとした形状のものであった。
NO142
焼津市花沢(はなざわ)地区
集落は法華寺を北端として、その南に位置しています。屋敷は街道の西側に集中し、傾斜地のため石垣を築いて屋敷地を造成しています。 敷地の平場を最大限に確保するため、石垣は道路際から築かれており、その石垣の直上に農作業などで使われた附属屋が建ち並んでいます。
NO141
見付天神
矢奈比賣神社(やなひめじんじゃ)は、「見付天神」や「見付のお天神様」として親しまれ、遠近から参拝者がいらっしゃいます。
NO140
曹洞宗 風祭山 福王寺
風祭山福王寺は今から1000有余年前に真言宗高野山の末寺として建立。その後、500有余年前の文安元年(1444)に天翁義一禅師を迎え曹洞宗 に改宗。爾来法灯連綿として現在に至っている古刹である。
NO139
高野山真言宗 財賀寺
神亀元年、聖武天皇の勅願により、行基菩薩開闢。弘法大師中興。最盛期には七堂伽藍を有し、山内外に数百の院坊を備えていました。 源頼朝が平家討伐を祈願、そのお礼として八間四面の本堂ならびに仁王門を再建、寺領千三百石余を寄進されました。
NO138
府八幡宮と遠江国分寺跡
磐田市内には、古代の寺院や役所の遺跡が分布しています。奈良時代には大之浦に臨む台地上に、遠江国府や遠江国分寺、 遠江国分尼寺などが建てられ国分寺は国府の北方に建立され、その東側には府八幡宮、国分寺の北方には国分尼寺が造られました。
NO137
一畑山薬師寺
『一畑山薬師寺(いちはたさんやくしじ)は、愛知県岡崎市にある臨済宗妙心寺派の寺院。 牛乗山山頂にある7万坪の広大な敷地をもつ臨済宗の寺。直径1mもの日本一といわれる木魚と巨大な香炉鉢があり、厄除け、交通安全、 合格祈願、水子供養、人形供養などさまざまな御祈祷を行っている。
NO136
岡崎城
岡崎城の起源は15世紀前半までさかのぼる。明大寺の地に西郷頼嗣(よりつぐ)によって築城されたのがそのはじまりである。その後、 享禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになった。
NO135
三河国分寺跡と三河国分尼寺跡
国分寺は、天平13年(741)に聖武天王が発した「国分寺建立の詔」により、東大寺を総本山として諸国に建てられました。 銅鐘(梵鐘)は、三河国分寺の貴重な財産で、大正11年(1922)に国の重要文化財に指定されました。
NO134
東福山 西光寺
西光寺は静岡県磐田市見付の寺院で、阿弥陀如来を本尊とする時宗の古刹。日限地蔵尊で知られる。
また、恋愛成就、縁結びのパワースポットとも言われています。
NO133
獅子の鼻公園
獅子の鼻のような岩があってその上が展望台になっています。敷地駅方面から行くと駐車場とトイレ、 屋外ステージとアスレチック施設や公園があります。 トレッキングコースもあり次の様な、注意書きが示されておりました。
NO132
金原明善資料館
金原明善記念館は、天竜川の治水工事に、私財を投じて尽力した金原明善の遺品や、遺墨、関係資料のほか、明善と親交の深かった人々の遺墨や、 関係文書などが収蔵・展示されている。
NO131
磐田 見性寺
臨済宗の寺院で五鈷鈴(市指定文化財)などの寺宝がある。また境内には縄文時代の貝塚や白浪五人衆に登場する盗賊日本左衛門の供養塔、松尾芭蕉の句碑などもある。
NO130
福田のハマボウ公園
ハマボウは関東以西の本州・四国・九州に分布し、韓国にも分布する落葉低木。内湾や河口の塩性湿地に生育する。7月から8月にかけ黄色の美しい花を咲かせる。
NO129
鈴木家住宅
鈴木家住宅は,静岡県西部から愛知県東部にかけて分布していた釜屋建形式の数少ない遺構であり, わが国における分棟型民家の展開を示す民家の一つとして重要である。
NO128
北城山大日禅寺
正応五年(1292年)真言宗として開創されたのが初めとされている。   天正二年(1574年)曹洞宗に改宗し、天正七年(1577年)永江院六世南浦元澤大和尚の隠居寺として再興される。
NO127
磐田市赤松家
赤松家は近代日本造船技術の先駆者として又明治期に磐田原台地に茶園を開拓した赤松則良が、明治26年(1893)見付の地に築いた邸宅跡である。
NO126
島田市ばらの丘公園
春と秋のバラの季節には、フェスティバルが開催されます。 また、公園中のバラの香りがリラックス効果をもたらすパワースポットです。 散策をしながら様々なバラとの出会いをお楽しみ下さい。
NO125
秋葉山三尺坊 秋葉寺(しゅぅようじ)
秋葉山(あきはさん)は、静岡県浜松市天竜区春野町領家に位置し赤石山脈の南端を占める標高866mの山です。
NO124
あらさわふるさと村 
自然豊かなあらさわふる里公園は、「ふるさと」を感じさせる様々な施設を併せ持った多目的な公園。
NO123
はままつフルーツパーク時之栖 
フルーツパーク正面入り口・・・茶色なレンガ造りで落ち着いた雰囲気で迎えてくれました。浜松フルーツパークとして1996年10月1日に開園しました。2013年4月に民間運営になり、 西側エリアがリニューアルされ、レジャー施設として一層魅力的にアップしました。
NO122
清水次郎長のお墓がある・ 梅陰寺
「侠客次郎長の墓」は幕臣から明治政府の郵政大臣を勤めた榎本武揚の書によるものです。また侠客としては全国唯一その半生の功労が認 められ銅像が設置されています
NO121
静岡市立日本平動物園 
1968年(昭和43年)1月に着工し、そして、1969年(昭和44年)8月1日、123種371点の動物と、園長以下32名の職員をもって、緑に囲まれた自然豊かな日本平動物園が開園しました。
NO120
巨鼇山清見興国禅寺
巨鼇山清見興国禅寺と称し、境内の面積は、 六千余坪、建物の坪数は、五百五十余坪あります。寺の位置は静岡市清水区興津地区にあります。
NO119
大淵山 窓泉寺 と 錦華山 善福寺
横須賀城初代城主大須賀康高が亡き室(妻)の菩提を弔うため天正七年現在の地に建立した寺である。 山門(二階楼門)は県指定文化財である。
NO118
蓮華寺池公園
周囲1.5kmの蓮華寺池を中心に総面積28.8haの公園内には、藤・桜・つつじ・蓮・あやめ・などが季節を通じて咲きみだれ日本庭園・ 野外音楽堂・ジャンボ滑り台・アスレチック広場など充実した施設で、親子づれからお年よりまで心安らぐ公園です。
NO117
安養山  浄土寺
常に自己を反省し、生かされて生きている今を大切に、思いやりの心、感謝の念を以てすべての人に具わっている 豊かな人間性に目覚め、人生最高の幸せを得ること
NO116
浜松の金刀比羅神社
静岡県浜松市浜北区尾野にあります。もともとは高根山の麓、大宝寺境内にあったものが火災で焼けたため、 現在の位置に移されました
NO115
金剛山 庚申寺
浜松市浜北区宮口にある臨済宗方広寺派の寺院である。この寺の起源は神亀2年(725年)の正月です。 現在の地の北西約200メートルの所、 堂風呂に、庚申尊天と脇立月懐長者、金剛童子の三尊が出現されたと伝えられております。
NO114
神楽の里
日本屈指の清流として知られる気田川のほとりに、勝坂神楽の里平成7年には「どこか懐かしい心休まる景観美」を評価され静岡県の都市景観賞を受賞しました。
NO113
横須賀城祉
かつては高天神城攻略の起点として築城され、その後280余年に渡り横須賀藩の中心であった横須賀城は、 明治維新とともに廃城となり、 残された城跡は現在国の指定文化財
NO112
島田市博物館
島田市博物館は、大井川の川越しにより栄えた島田宿の面影を残す国指定史跡「川越遺跡」西側に隣接し「旅と旅人」をメインテーマとし、 旅道具や江戸時代の川越しに使われた連台などの展示
NO111
池宮神社(桜ヶ池)
御前崎市にある池宮神社は桜ヶ池の畔にあります。 毎年秋の彼岸の中日に県指定無形民族文化財「桜ヶ池のお櫃納め」が行なわれています
NO110
高天神城址
高天神城は今川氏時代には福島氏のほか、在地の土豪である小笠原氏が城主を務めました。
NO109
静岡県太田川ダム
静岡県が所有する多目的ダム。治水の他、河川維持用水や上水道用水確保の目的を持っている。
NO108
静岡県指定天然記念物「渋川つつじ」
「渋川つつじ」は、幹は根本から数本づつ束立し、背丈は4縲F6mに達します。葉は3枚づつ輪生し、 鮮やかな紅紫色の花が3輪づつ開花するのが特徴です。
NO107
花庄屋「大鐘家」
国定重要文化財の花庄屋「大鐘家」です。 大鐘家は古く室町時代、尾張(現在、名古屋市高針)出身といわれている。戦国武将、柴田勝家家臣となり、越前丸岡上城主・柴田勝豊に使えた。
NO106
久能山東照宮と日本平ロープウェイ
日本観光地百選で1位に選ばれたこともある名勝「日本平」の山頂と徳川家康ゆかりの史跡 「久能山東照宮」を5分間で結んでいる索道です。
NO105
龍潭寺
宗派 禅宗 臨済宗妙心寺派
    本尊 虚空蔵大菩薩 宗良親王 井伊家菩提寺
NO104
高根城
15世紀前半この地を治める奥山氏によって築城されました。桶狭間の戦いの後、信濃から侵攻してきた武田氏の所有となり、 大改修されました。そのため、奥山氏時代と武田氏時代の遺構が見つかっています。  
NO103
静岡富士山空港
ターミナルビルの概要 旅客ターミナルビルは利用者に使いやすいユニバーサルデザインを取り入れたコンパクトな施設を 目指しています。
NO102
水窪かたくりの郷
カタクリは山野に群生する多年草で、静岡県では群生地が少ないため貴重です。
NO101
三ヶ日人只木遺跡
2万年ぐらい前の洪積世人類のものと思われる前頭骨、 大腿骨等の骨片七つが発見されました。 そのころこの地に人間 (三ヶ日人)が住んでいたことを物語る貴重な遺跡です。
NO100
本田宗一郎物つくり伝承館
世界のホンダ”を築いた本田宗一郎氏(1906−1991年)の人となりや、ものづくりの精神を伝える「本田宗一郎ものづくり伝承館」
NO99
三ヶ日みかん資料館
三ヶ日町大福寺地区にある「みかんの里資料館」小さな資料館ですが、昔ながらの農具などが展示されており、みかんの歴史がよくわかります。
NO98
浜名総社神明宮
当神社は上古三ヶ日地方を統治した浜名県主か、祖神太田命を祀ったのに創り、 その後天慶3年(940)この地方が伊勢神領になるに及んで天照大神が主祭神となり  太田命は従的位置になったものと推定される。
NO97
明神峡とスーパー林道の紅葉
気田川沿いの約5km程の渓谷を「明神峡」と呼ぶ。激流に洗われた岩肌や巨岩を有し、 四季折々の美しさを見せる。秋はこの渓谷一帯が楓や欅、山毛欅などの紅葉で鮮やかに染まり、渓谷をたどると、 上流から下流へと下りてくる紅葉の色合いの変化も楽しめる。
NO96
鳳来寺山と東照宮
家康の父広忠 が   夫人於大の方とともに鳳来寺の本尊峯薬師如来に祈願して家康が生まれたことを知り、 報恩のため鳳来寺山 に 東照宮の建築を命じて4代将軍家綱 が慶安4年9月に完成させた。
NO95
西浦田楽
厳寒の闇に松明が燃え仮面の舞が幻想的な世界に誘う 西浦田楽は、国指定の重要無形民俗文化財。
NO94
満光寺
満光寺はもと天台宗寺院で、下吉田字岡にあったが、室町時代末期に兵火にあい焼失した。天文2年(1533)今川義元の臣、 鈴木長門守重勝によって現在地に再興されたが、この時築庭されたようである。
NO93
阿寺の七滝
愛知県新城市の阿寺川にある滝。滝および周辺は国の名勝および天然記念物に指定されている。日本の滝100選の一つ。
NO92
紫陽花の寺 極楽寺
当寺は、養老年間(712年ごろ)行基菩薩によって開創、ご本尊阿弥陀如来は行基菩薩自らの作と伝えられています。 爾後、寛永6年(1629)、 時の可睡斎二十一世責外嶺育大和尚は寺院の荒廃を惜しみ、堂宇を再興、 宗派も曹洞宗に改宗した後は寺院は飛躍的に興隆した。
NO91
長篠城跡
本丸の土塁の一部を今に残し、戦国末期の城郭の姿をよく見せております。 永正5年(1508)今川氏の将菅沼元成築城、天正三年(1575)十一月徳川家康は、奥平貞昌を城主に任命し城郭整備五月、 竹田勝頼の猛攻に耐えました。
NO90
初山 宝林寺
仏殿は本堂ともいい、釈迦三尊を祭り両側には二十四天の善神が配されている。 桁行五間、梁間六間、入母屋造り柿葺き、 内部は一堂となっていて、間仕切りを設けず、 土間の床に敷き瓦を四半に敷き詰めてある。黄檗宗初めのころの建築として独特な中国風の様式を伝える 貴重な建物である      
NO89
中部電力 浜岡原子力館
発電所の敷地内にある。模型で原子力発電の仕組みを学べ、展望台では発電所全景や遠州灘を望める。 またドーム状スクリーンのオムニマックスシアターも楽しめる。
NO88
奥山 梅の里杉山園
同園には小梅や大梅の木が並ぶ第一梅園(約四百五十本)と第二梅園(約二百五十本)があり、 毎年開花時期になると観光客らに梅園を開放(入場無料だが駐車場管理費として一台二百円必要)している。
NO87
町立歴史民俗資料館
明治18年建築の旧郡役所を移築したのが、資料館です。当時の姿のままに復元された、町立歴史民俗資料館は、 館内に入ると昔に タイムスリップしたみたいです!展示品は、農耕具や生活用品、古文書などがあり、もりまちの歴史と生活文化の変遷がひと目で理解できます。
NO86
アクティー森
アクティ森は、敷地面積36.083平方メートルの広大な空間に、創作体験工房やアウトドア体験フィールド、まんぷく体験(レストラン)などを備えた複合型 体験施設。豊かな自然に囲まれて、四季折々の風景をご家族そろって楽しめる体験パークです。
NO85
天宮神社
祭神
田心 (たごころ)姫命(ひめのみこと)市杵島(いちきしま)姫命(ひめのみこと)湍津(おきつ)姫命 (ひめのみこと)(大国主命のお妃)
NO84
橘谷山(きっこくさん)   大洞院 (だいとういん)
全国に3400余の末寺を持つ曹洞宗の古刹です。門前には、森の石松の墓があります。「消えずの 灯明 (とうみょう)」「 世継 (よつぎ)の すりこぎ」「 結界 (けっかい)の砂」など 恕仲禅師 (じょちゅうぜんし)にまつわる数々の伝説があり、「伝説の寺」と呼ばれます。
NO83
八形山 蓮華寺(別名 萩の寺)
蓮華寺は慶雲元年(704)文武天皇の勅願により行基菩薩が開創した森町で一番古いお寺です。
NO82
萬松山(ばんしょうざん)可睡齋(かすいさい)
聖観世音菩薩を本尊とし、高祖承陽大師(こうそじょうようだいし)と太祖常済大師(たいそじょうさいだいし) を両祖とします。 さらに宗派を越えて古来より火伏せの神とあがめられて全国津々浦々に奉祀 されている
NO81
医王山薬王院油山寺
今から約千三百年前(大宝元年)に行基大士が万民和楽、無病息災を祈念し本尊薬師如来を奉安、開山された真言宗の古刹 であります。
NO80
磐田旧見付学校と淡海国玉神社
見付学校を第12中学区内第1番小学校にと地元の熱意で、名古屋の堂宮棟梁 伊藤平右衛門 (後の9代目伊藤平左衛門)の設計で、 明治7年(西暦1874年)10月に工事着手、翌年1月11日に上棟式を行い8月7日に落成、 開校式が挙げられました。
NO79
見付天神とつつじ公園
当神社は、古くから学業成就・健康守護・五穀豊穣・安産子育ての神として「見付のお天神様」と崇敬されています。
受験合格祈願や厄除祈願、初宮詣等でおまいりされる方が多くみえます。
NO78
掛川花鳥園
掛川花鳥園は総敷地面積10ヘクタールの敷地に、「花と生物とのふれあい」をテーマにしたテーマパークです。 冷暖房のガラスハウスは、夏涼しく、冬暖は暖かで雨の日も全天候型なため問題なく、一年中快適な空間で花や鳥を楽しむことができます。
NO77
山住神社
標高1107mの山住峠にある、山住神社の起源は、和銅2年(709年)に伊予国(愛媛県)は大山祇(おおやまずみ) 神社から大山祇神を勧請いたのが始まりといいます。
NO76
法多山 尊永寺
法多山は、寺号を尊永寺と称し、高野山真言宗に属し本尊正観世音菩薩は俗に厄除観音として知られています。 神亀2年(725)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人は大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ 本尊観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。
NO75
小国神社のご祭神とご由緒
ご祭神
小國神社(おくにじんじゃ)のご祭神は「大己貴命」(おおなむちのみこと)です。 大己貴命は大国主命のことであり、皆様ご存じの神話「因幡の白うさぎ」で、 赤裸のうさぎを助けられた心やさしい神様です。
NO74
秋葉山本宮(上社)
明治初年教部省の達で権現の号を改め「秋葉神社」となったが、 昭和27年全国の秋葉神社の総本宮 であることから「秋葉山本宮秋葉神社」と改称した。
NO73
遠州 信貴山
信貴山真言宗(しぎさんしんごんしゅう)は毘沙門天(多聞天)を本尊とする真言宗の宗派の一つで、 総本山は朝護孫子寺(信貴山寺)である。毘沙門天信仰は飛鳥時代にまで遡る。
NO72
JAとぴあ浜松浜北営農緑花木センター
植木の情報発信基地、観光と緑のデパートとして多くの方々に親しまれています。
NO71
椿姫観音
浜松市中区元浜町の住宅街に悲運の女城主を祭る「椿姫観音」。
NO70
浜松市船明の二本杉
浜松市天竜区船明地内左側には船明ダム、 右側にそそり立つ 二本の大きな杉の木が目に入りますのが紹介する杉の木です。
NO69
浜松市動物園
浜松市動物園は自然の地形を利用して起伏に富み、全体的に森の中の動物園をイメージして作られています。
NO68
遠州名刹光明山
養老元年(七百十七年)行基上人が光明山中に入り、摩利支天の神託を受けるなど数々の 霊験に接して、 このことを時の帝元正天皇に申し上げ、皇室の祈願所とされることをお勧めしました。
NO67
白井鐡造記念館
1922年9月1日宝塚歌劇団に入団。劇団創始者小林一三にその人柄、 実力を認められ、本場パリへの 遊学を進められ渡欧。
NO66
治教カナメ神宮
一五代応神天皇の御代に、はじめて国家として法制が成立し、 宮城内裏の郁芳門に皇衛治教乾坤院を創設し歴代天皇が 継承された。
NO65
伊井谷宮(いいのやぐう)
明治元年明治天皇より当宮創立の勅旨が仰出され同五年二月十二日御鎮座、 同六年六月九日勅栽以て官幣中社に 列せられました。
NO64
真言宗長楽寺(しんごんしゅうちょうらくじ)
長楽寺はどうだんつつじと梅で有名です。庭園も素晴らしいものがあります。 現在は留守を守る方がなく拝観が出来なく残念です。
NO63
東名高速道路浜名湖サービスエア
用事が済みあちこち覗いてきましたら新しい発見、舘山寺方面からの浜名湖にかかる橋は見慣れておりますが 反対からの眺めも素敵でしたので紹介いたします。
NO62
伊能忠敬佐鳴湖測量
佐鳴湖にはじめて測量のための杭(くい)を立てたのは1805(文化2)年3月18日 当時江戸幕府の天文方であった伊能忠敬(いのうただたか)であった。
NO61
浜松市秋野不矩美術館
天竜市出身の画家、故秋野不矩画伯の作品を集めた美術館。オープンは平成10年4月。
NO60
浜松まつり 凧揚げ合戦と御殿屋台
今から400年以上前の永禄年間に、当時の引馬城主 の長男誕生を凧を揚げて祝った説が有力視されている。
NO59
佐鳴湖公園炭焼き
伐採した竹などの活用方法として、炭焼きを行っております。
NO58
鷲津 本興寺
徳川家光より63石の朱印を受け以来将軍の代替りには江戸城に登り白書院において将軍に謁見を許された。
NO57
新居関所
新居関所は、正式には今切関所といって慶長5年(1600)に設置されました。
NO56
ウオット 静岡県水産技術研究所 浜名湖分場
「ウォット」のある静岡県水産技術研究所 浜名湖分場は、浜名湖の魚を中心に研究している静岡県の機構です。
NO55
佐鳴湖公園ミニ鉄道
佐鳴湖公園隣接地に浜松市が民間から借り受けている公園敷地を借り 会員たちが整備いたしました。
NO54
軽便鉄道 奥山線
遠州鉄道奥山線は山奥を通っていたというわけではなく、 終点が引佐(いなさ)郡奥山であることからつけられたものです。
NO53
東伊場 歩道のタイル
東伊場の元国鉄の工機部(現JR浜松工場)東の歩道に汽車に関係したタイルが埋め込まれております。
NO52
東伊場 堀留ポッポ道
この緑道は国鉄浜松工場線の跡地を利用して延長460mを整備したものです。
NO51
浜松市博物館
浜松市博物館は、静岡県西部、浜松市にある市立の歴史系博物館で蜆塚公園の一角にあります。
NO50
山神社(やま)
創建の年代は詳かでないが、住吉より貝塚の東隣に鎮座し、日本古代の山岳神、大山祇命を祀って在る。
NO49
高山家の住宅
同家は安政(1854〜1860)のころ分家し、その時、堀江(現在の舘山寺町)から古い建物を購入、 移築したといわれております。
NO48
野口の八幡宮と雲立の楠
戦災を受けることが無かった為広い境内 には天然記念物に指定されている大楠を中心に松、 椎などの老木が参道の両側に枝を広げております。
NO47
曳馬城址と東照宮
永禄11年(1568)三河から遠江に入った家康は今川方の拠点である曳馬城を攻め、 この城に入城後、城地を拡大浜松城を構築しました。
NO46
法然上人ゆかりの西伝寺
平安時代の治承年間というから約八百年前の開創で、 浄土宗の開創法然上人の弟子西伝法子によって 開かれたという。
NO45
足利義教の墓と浜松の起源
駿河に到ると、之より」音羽の松と称し、浜松の庄の名も之によって起こり、家康」入城と共に駅名となるといふ。
NO44
東漸寺引間城主飯尾豊前守連龍の墓
引間城主飯尾豊前守連龍の墓(五輪塔)のある東漸寺は浜松市成子町にある日蓮宗のお寺です。
NO43
松下屋敷と木下藤吉朗
若き日の豊臣秀吉が松下屋敷に奉公していたという 歴史の上でのエピソードがあるからです。
NO42
城下の惣鎮守松尾神社
市街地の真ん中にあるお宮で、最も歴史が古いのが松尾神社です。この神社は松尾社とも呼ばれ、 室町時代末期の天正五年(1577) に現在の場所に遷座されたと言われます。
NO41
藤戸大三郎と根笹の雪
この墓は大巌寺が移築された時に同寺の墓苑に今は 高さ70センチほどの四角な 御影石の台座の上にすえられ、台座には「根笹の雪」と刻まれている。
NO40
志都呂陣屋と築出橋
現在はまったく史跡は残っておりませんが江戸時代はこの陣屋で旗本五井松平氏が施政を行った拠点です。
NO39
神久呂神社
古くから雨ごいの神として知られ、雨ごいの竜の面の伝説が残るこの神社は、平安時代に創建された。
NO38
三社神社
延暦十四年(795年)坂上田村麻呂勅をうけ、岩田海の難を除こうと、 三神を勧請し里人に氏神として 奉祀したことが始まり。
NO37
浜松城裏鬼門不動院
不動院は浜松城の西南、つまり裏鬼門にあたっていた事から、 浜松城の守護神として崇敬され、殿様に代わって家臣が代参あったといわれています。
NO36
浜松市広沢 日枝神社
徳川家康が三方原合戦の時に、武運長久を祈願されたと云われている。
NO35
真徳山 天林寺
徳川家康が浜松城在城時代に現在の真徳山天林寺改号され現在まで法灯連綿として続いて来ています。
NO34
玩照山 蓮華寺
蓮華寺は徳川家康の家臣鳥居四郎左衛門忠広の室(妻)が小庵を建てたのが始まりとされている。
NO33
宝蔵山宗源院
宝蔵山宗源院は、西来院と同じ曹洞宗の寺歴古いお寺です。 開創は、応永23年(1416)開山で在天弘雲和尚 です。
NO32
浜松市三組 秋葉神社
家康勧請の秋葉神社は、三組の秋葉さんとして、浜松市民には馴染み深いお宮。
NO31
先照山 心造寺の由来
心造寺は紺屋町にある浄土宗のお寺、讚誉智上人を開山つし、 二代将軍秀忠の母西郷の局を開基とし、天正八年(1580) に開創された。
NO30
五社神社と諏訪神社
五社神社は国主久野越中守曳馬城(浜松城)内に奉斎す。 諏訪神社は延暦十年坂上田村磨東征の砌、敷智郡上中島村に奉斎
NO29
浜松城
浜松城は徳川家康が築いた城です。家康は永禄11年、 三河から遠江に入45才で駿府城に入るまでの17年間在城
NO28
広沢山普済寺
戦火をまぬかれた朱塗りの山門この山門が現存する同寺の建物中で、 最も古く 江戸時代の建立、本瓦葺きの屋根作りで、朱塗りされている。
NO27
姫街道と気賀関所
東海道の脇街道、別名東海道本坂越、本坂道、本坂街道 などと呼ばれ重要な街道でした。
NO26
東海道舞坂宿脇本陣
現在書院棟一棟が残されており、旧東海道宿駅の中では唯一の脇本陣遺構として貴重な建物です。
NO25
天竜市 清龍時
信康の廊所、位牌堂、其外諸堂の清龍時 当寺は、京都知恩院の末寺
NO22
鳥羽山城祉
俗に不城山と呼ぶ山頂に築かれており、二俣城とは別格の一城の関係にある城館的色彩の強い山城である。
NO21
二俣城址
永禄11年(1568)12月から天正3年(1575) 12月までの7年間、二俣城は徳川、武田両氏の攻防の舞台となった。
NO20
遠州大念仏と犀ヶ淵
遠州大念仏は、戦国時代、犀ヶ崖で徳川軍の奇襲に遭い命を落とした武田軍の兵馬を供養したのが起源。
NO19
御前谷と築山御前と太刀洗の池
御前谷とは築山御前にちなんで付けられ昔はこの辺りは薮におおわれ 約50uほどの池があった。
NO18
高松山 西来院
西来院は徳川家康の正室築山御前の廟所のある禅刹として有名であり、 本堂前庭に咲き乱れる藤の寺としても知られている。
NO17
小藪の船着き場
岡崎城から浜松城に進んで来た 築山御前を佐鳴湖小藪に待ちうけ生命を絶ったところです。
NO16
方広寺
建徳二年(1371)後醍醐天皇の皇子無文元選禅師によって開創された禅寺で深奥山方広寺萬寿禅寺と言います。
NO15
地底の花「竜ヶ岩洞」
東海地方最大規模の竜ヶ岩洞は、2億5千万年前の地層と言われている。
NO14
三組秋葉神社
前にも三組秋葉神社は、紹介いたしましたが、今回は管粥祭、焼納祭の様子を!!
NO13
五社神社
初詣の方は多く特に若い家族連れの方が目立ちました。元旦の五社の様子です。
NO12
万葉の森公園
平口身代わり不動尊の、裏側にあたる所の静かな丘陵地帯の一角に万葉の森公園があります。
NO11
平口 身替り不動(不動寺)
通称「平口のお不動さん」として昔から広く世に親しまれている遠州の名刹不動寺。
NO10
三謡公園(弁財天)
昔この辺りには、大鱸谷(おおすずき)と呼ばれ、この谷を越えて入野に通ずる山路を 「うとう坂」「歌う坂」とも言われていました。
NO9
船明ダム
浜松市から国道152号線を北上すること、約小一時間町並みはずれ、視界にのダム湖が入ります。
NO8
掛川城
掛川城は戦国時代の文明年間(1469〜86)駿河守護大名今川義忠が遠江支配の拠点として、 重臣朝比奈泰熈に築かせたといわれております。
NO7
加茂菖蒲園
加茂家は桃山時代からの庄屋であり、天正十七年に当時浜松城主であった徳川家康よりの書状をはじめ、 江戸時代を通ずる 古文書を所蔵
NO6
佐鳴湖
佐鳴湖は、HP立ち上げた当時に一度紹介をしましたが、日本一水質の悪い湖として報道されてしまいました。
NO5
入野古墳
三方原台地の南端、眼下に沖積平野を見下ろす台地の先端に築かれた径42m、高さ5.7mの円墳である。
NO4
六所神社
人皇九十四代後二條天皇の皇孫康仁親王(木寺の宮)元弘、建武の戦乱を避けられて入野の郷 (当社と竜雲寺の中間の谷間) に御居館を造営し本所四百石を領有す
NO3
高林白山神社
浜松大空襲で生き残った御神木
NO2
御前谷と築山御前と太刀洗の池
御前谷とは築山御前にちなんで付けられ昔はこの辺りは薮におおわれ約50uほどの池があった。
NO1
西来院
西来院は徳川家康の正室築山御前の廟所のある禅刹として有名であり、本堂前庭に咲き乱れる藤の寺としても知られている。